「ウイムーン布ナプキン」と出会ったのは、お客さんから「この世には布ナプというものが存在する」と教えてもらったのがキッカケでした。なにしろ使い心地がよく、かぶれやかゆみもなくなるし、その上、生理痛まで軽減したというのです。「これは試してみるっきゃない!」と思って、さっそくオーストラリア産の布ナプキンを探し出しました。
布ナプキンは複数のメーカーが出していましたが、私の目に止まったのは「吸収体と防水体を活用した、ハイテク・薄型のナプキン」でした。使ってみると、その吸収力にはまず脱帽し、そしてふれこみどおり、かぶれ、かゆみが出ませんでした。生理痛については軽くなったような気はしますが、なにしろ出産後すぐに使い出したので、この差が布ナプのせいなのか、はたまた単純に「子供産んだから」なのかは判断のしようがありません。
でもまあ、とにかく装着感が心地よいのですね。コットン100%のパンツをはいてるかのような感覚。市販の紙ナプキンの、人工的な不自然な感触から比較したら、本当に(どっかのコマーシャルじゃないですが)「つけているのを忘れてしまいそう」です。
こんなにイイモノは皆さんにご紹介しなくては!という勝手な使命感にかられ、ついに販売に踏み切りました。きっと皆さんに喜んでいただけるだろう、という確信がありました。
ただ1点、引っかかったのが「洗濯への抵抗感」。実際、私のまわりにも「やっぱり洗うのは面倒」「血を洗うなんて汚い」といった抵抗感を示す方がけっこういました。たしかに、いくら使用感がよくても、ゴミが出なくて環境にやさしくても、洗濯という手間がかかるのはデメリットです。
そこで、「経血を洗う」ということについて、考えてみました。最初は「机上の空論」みたいに考えてましたが、毎月ナプキンを洗っているうちに「自然の摂理」を実感したりもしました(^^;)。また、プラクティカルな問題として、「どうやって洗えば、手間なくキレイにできるのか?」という研究もしてみました。
「経血を洗うことに抵抗がある」という方とお話していると、どうも「経血」というものに、ある意味「不浄感」がまとわりついているような気がしてきます。そういえば、子供時代、思春期を振り返ってみると、月経というものをネガティブに捉え、隠蔽しようとする文化、価値観が常に周囲にあったように思います。
「女性には生理というものがある」という事実は、小学校の中高学年で教えてもらいましたが、なんともいえない神秘的なインパクトがあったものです。女の子だけが体育館かなんかに集められて、「女だけの秘密」を「女のセンパイ」から伝授されたような。その間に校庭で他愛なくドッヂボールかなんかしていた、何も知らない「男子」に対して、ちょっとした「大人の優越感」はあるんだけど、「面倒なサガを抱えて生きてゆかねばならない女の悲哀」をも同時に感じたりして。あの気分は複雑なものがあったなあ。
実は私は学校で生理について教わる前に、母親からあらかた聞いていました。小学校低学年の頃、一緒に旅行に行った従姉がちょっと自慢げに「今日はアレだからお風呂に入れないの」というので、「アレってなあに?」と聞き出した記憶があります。私が生理に対して、最初からネガティブでダークなイメージを持っていないのは、当時説明してくれた母や叔母が、人間の自然現象としてオープンに語ってくれたせいかもしれません。
学校では「男子には分からないようにしましょう」と教わったけど、私はその理由がよく納得できません。自然現象なのに、なぜ秘密にしなきゃいけないんだろう? それに、まるで「恥ずかしいこと」という価値観を押し付けられつつも、生理が早くから来た子たちが、自慢げにナプキンの入ったポーチをチラつかせてトイレに行く事実にも、なにか不自然な、背反する2つの価値観を察知せざるをえません。今なら「ダブル・モラルだよ」と批判もできますが、あの頃は「よくわかんないけど、ヘンなの」という感覚だけがあって、その理由を説明することができませんでした。
あの頃、なぜ大人の女性たちは月経について説明するとき、私たちに羞恥心や嫌悪感をも伝えたのか?というと、彼女たち自身が月経を恥ずかしいもの、汚いもの、として捉えていたからではないか?と思えてきます。そういえば・・・、とちょっと話は飛躍しますが、明治~昭和初期の映画なんかを観ていると、血を不浄のものとする価値観が見え隠れするような気がします。「月経中、不浄の部屋(?)にこもらされる女性」「血は不浄だからと、馬小屋で一人で出産させられる女性」なんてシーンを見た記憶があります。あーゆーのって、ちゃんと時代考証してあるのかな?
そんな映画のイメージが事実だとするなら、あの価値観はどこからやってきたのでしょうか? 日本古来の価値観なのかなあって気もしたんですけど、どうやら万葉の時代あたりまで遡ると、そういった自然現象にはおおらかに対応してきたようです。かの時代には「今夜はとってもやりたい(!)んだけど、あなたの袖から月の陰が見えますよ」なんて歌が残っているそうですから(^^;)。そういや古代日本人の思想は森羅万象に万(よろず)の神がいて、その自然と共存、という具合で、言ってみたら「ナチュラリスト」ですもんね。
後日談:この辺の「いい加減な」歴史的考察については、その後、よりお詳しい方々からコメントをいただき、いろいろ教えていただきました。万葉からさらに古代日本に遡れば、やはりケガレという概念はあったそうですし、神道の「八穢」にも「血の穢れ」が含まれるそうです。逆に、仏教が隆盛だった時代には、わりに経血に対しておおらかだったという説も。明治時代の廃仏毀釈により、仏教を払拭し神道を民間に浸透させたことによって、「血穢」が復活したのでは?という方もいらっしゃいました。まあ、宗教というものは時の権力者が政治的に都合がよいように加工して広められるという側面も否めませんから、ケガレ思想が単純に神道のせいとは言えないでしょうが。時間があったら、一度真剣に調べてみると面白そうな課題ですね(^^;)。
ってことは、西欧のキリスト教文化の影響なんでしょうか。そう、キリスト教ではもう「経血は不浄」なんですね。そもそも女は「罪」ですから。アダムにリンゴを食べろと勧めたのはイブでしょ、だから女性は出産するときに苦しむことになったという。血=女=悪魔の象徴ですから、経血に触れただけでも一大事です。
ちなみに、イスラム教にも経血不浄感は強くあるようで、たとえば「生理中の性交は厳禁」。経血は男性の力を弱める、とも言われるそうです。もっとも、イスラム教が広がってきた地域では水が自由に使えなかったことを考えると、保健衛生上、実利にかなった教えだったのかもしれませんが。
仏教や神道に比べると、キリスト教のほうがずっと男尊女卑的な側面は強いようにも思います。だからこそ、フェミニズム運動は西欧ではじまり、日本とは比べものにならないくらいの勢いでウーマンリブ旋風が吹き荒れたのでしょう。社会制度よりなにより、感情レベルで男女平等に改革する必要があったのでしょう。日本の場合は、社会制度的には男尊女卑だったかもしれないけど、感情的には女性は女性として活躍の場があったし、それなりに尊敬もされていたんじゃないか? つまり感情的にはかなり男女平等に近かったんじゃないか? だから、ウーマンリブが西欧ほど盛り上がらなかったんじゃないか?って気がするんですが(←仮説です、あしからず)。
ところで、ウーマンリブというと、単純に「女性の権利を勝ち取るための運動」だと思っていましたが、西欧のウーマンリブは自然主義運動と強く連動しているんですね。フェミニストたちの主張には、「自然への回帰」が大きく占められているみたいで。ヒッピーとフェミニストがオーバラップしがちなのも、そのあたりがポイントになっているようですね。
ちょっと話が逸れたようですが、実は「布ナプキンの思想」というのは、かなりフェミニズム的なんです。「女性の自然の摂理をそのまま受け入れよう」「自然を保護しよう(ゴミを減らそう)」「自分の経血を自分で洗うことによって、自分の女性性を認め、愛そう」といった思想。(フェミニストの意識改革法で、「女性が自分のアソコを鏡で見る」というのがあるそうですが、それと同じノリで「経血を洗おう」という言い方になるのでしょう。)
だから、ある程度、フェミニズム化した社会文化でないと、受け入れられないモノなのだと思います。日本でだって、性がオープンになってきた最近でこそ受け入れられるけれど、20数年前、小学校の体育館で「女の秘密」を伝授してくれた先生方に使ってもらえるとは考えにくいモノじゃないでしょうか。
最初は「経血を洗うことが女性性を認め、愛すること」という実感まではなかったんですが、次第に自然と「今まで否定しがちだった自分の女性性」というものに対して素直になれてきたような感覚はあります。経血を自分で洗うこと=女性性を認める」というほど単純なことではなく、布ナプキンを愛用している間に芽生えてきた女性としての誇り、みたいなもの。もともと男性的な性質が表に出やすい性格なだけに、これは自分にとってはなかなか新鮮な変化でありました。もちろん思想だけでは継続使用はできませんから、これは継続使用したことによる副産物なんですが。
布ナプキンを洗う実感というのは、アカンボのおむつ洗うのと似たようなもんじゃないですか。「そりゃあ面倒臭いっちゃ面倒臭いけど、毎日付き合っているものだから、いちいち不快感もないよなあ」ってな感じですね。匂いがない分、そして水につけおくだけで手間がいらない分、うんちよりは楽ですが。
うんちも汚物だし、経血だって汚物には違いありません。でも、汚物だからって敬遠することもないと思うんですよね。どちらも人間が排出するものです。排出って要するに身体のお掃除なんですよね。それは自分が生きている証拠、そしてキレイになった証拠。そう考えたら、排出したモノを眺めるのって、そんな不快なことじゃないと思うんです。まあ、理屈はそうでも、実感が伴わないよという方もいらっしゃるでしょうが。
実は私は、うんちが好きな人でして、便秘症だったこともあるのでしょうが、がんばって出てきてくれた”うんち”がカワイイのです(^^;)。だから”今日のうんち”について誰かに報告したくて仕方がないのですが、私の過去のボーイフレンドたちは「汚い」と言って、私のうんち報告には耳を傾けてくれませんでした。今の夫と結婚して、彼もうんちが好きな人だということを発見し、「そうか、それで私たちは結ばれたのか」と納得したほど、うれしかったです。
そういう変わった(?)感覚をもっている私が、経血を洗うことに対する抵抗感を持たないのは当然なのかもしれません。たしかに、最初から抵抗はありませんでした。「洗うのは面倒だけど、まいっか」という感覚です。
ところが、布ナプキンを使うようになって、私は明らかに変わりました。多くの布ナプ愛用者がおっしゃるように、毎月生理が来るのが待ち遠しくなったのですが、その主な理由がなんと、「洗うのが楽しみ!」だからなのです。最初は「まいっか」で洗っていたのですが、この作業自体が楽しくて次の生理が楽しみなのです。
キッカケは、布ナプを漬け置いた水を、鉢植えにあげてみたこと、です。赤くて臭い水を鉢植えにあげるなんて、と不快感をもたれる方もいらっしゃるかもしれませんが、私も最初はすこーしだけ、そういう気持ちがありました。でも、糞尿はいい肥料になるのだから、経血だって植物にとってきっといい栄養になるんだろうな、と思いました。そうしたら、半分死にかけていた鉢植えが、いきなり元気になっちゃったんです。生理の間、毎日赤い水をあげ続けたら、生理が終わる頃には元気な若葉がたくさん、スーッと空をめがけて生えてきたんですよ。もう、びっくりしました。
それで、紫蘇やアロエにも経血水をあげるようになりました。自分の経血水で育った紫蘇の葉を食べる・・・。うぇ~って感じで、最初はちょっと抵抗がありました。でも、経血水あげると、本当に元気でおいしくなるんですよ。経血に混じった成分が土壌のバクテリアを活性化して、植物に必要な栄養分が増えていくんでしょうね。思わず、理科の教科書に出てきた食物連鎖の図が頭に浮かびます。
私の身体から排出されたものが、自然の役に立っている。これって、すごいことじゃないですか。人間は自然の中ではぐくまれたものを盗んでいるばかりかと思ったけど、ちゃんと自然界の循環の一部になれるんだあって実感しちゃいました。考えてみれば、その昔は、人間のうんちだって肥料にしていた時代があったわけです。人間の身体が滅びたら、腐って土に帰っていったわけです。これだけ人口密度が高まれば、そんな自然の循環に頼っていたら衛生問題が起きてしまうから、汚物は下水に流し、死体は燃やす必要があるけれど、経血はお手軽に自然に還元できるんですよ。なんか、うれしくなってしまう。
「洗うのが楽しい」もうひとつの理由は、汚れ落ち実験を楽しんでしまった、ということにもあります。より手間がかからず、よりキレイに落ちる方法はないものか?と、いろいろ試してみました。
結論的には、こんな手順が手間いらずで、キレイになります。
- 使い終わったら、つけおき容器に水を入れて、布ナプキンをつける。
- 次の布ナプキンに取り替えるタイミングで、つけおき容器に入っている布ナプキンを水から引き上げ、軽く手洗い。この時点でほとんど経血は落ちてはいるが、シミが残っている程度。別の洗面器に水をはって、そこに次に洗濯機を廻すまでの間、放置しておく。3日間までそのままで大丈夫だが、それより長く放置する場合には、洗剤を少し入れておく。
- 経血混じりの水は、かわいがっている植物にあげる。
- 新しい水をつけおき容器に注いで、はずしたばかりの布ナプキンをつけこむ。
つけおき容器には、約1リットルの水で3枚まで一緒につけおくことができますが、長いこと放置すると水の匂いが気になってきます。5時間もつけおけば、それ以上長くつけても汚れ落ちに大差はないので、次の布ナプキンに取り替えるタイミングで第一次つけおきからは、引き上げたほうがいい、ということに気づきました。本当はすぐに洗濯機にかけられるといいのですが、布ナプキンのためだけにいちいち洗濯機を廻すほどヒマはないですから(^^;)、次の洗濯のタイミングまで、第二次つけおきでウェイティングしてもらう、というわけです。
汚れ落ちは生理の最初のほうが落ちやすく、終わりのほうが落ちにくくなります。落ちにくそうなシミが気になるときは、固形石けんで直接シミ部分をゴシゴシして、そのまま洗濯機に放りこむだけでキレイに取れます。
それと、経血って意外と臭くないんですよ。生理の終わりのほうになると、ちょっとしてきますが、つけおいた水の匂いが気になるってことは、まずないです。ただ、長いこと(24時間以上とか)つけおくと、匂いがしてきますので、早いうちに「第一次つけおき」からは引き上げたほうがいいです。なお、ティートリーオイルは、殺菌にも役立ちますが、匂い消しとしても優秀です。
布地にはしっかりした色がついていますが、意外と色落ちはしません。おろしたてに、お湯で洗ってみましたが、他の洗濯物に色がつくようなことはありませんでした。でも、ウィムーンは洗うほどに吸収力が増して使い心地がよくなりますから、必ず予洗いをしてからお使いになってください。
昼下がりに赤いナプキンがユラユラと風に揺られている図、というのが、結構カワイイんですよね。天気の悪い日は仕方がないので乾燥機にぶち込みますが、天気がいい日はおひさまに天然消毒してもらっています。
え~、うれしそうに一人で報告しちゃって、すみません(^^;)。みなさんも洗い方実験、楽しんでくださいね。よりよい「洗い方」を発見されたら、ぜひ教えてください。
2001年04月30日:福島
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