ダブル・トラブル?!
(育児エッセイ その3)
生後7週めのカレンとリサ
24時間臨戦体制の嵐のような日々を繰り返しているうちに、すっかり春になってしまいました。庭のジャスミンが満開で、香わしい風が家の中を通り抜けます。あっという間に、カレンとリサが産まれてきてから、はや2ヶ月になろうとしています。
妊娠中に妊娠日記をつけていたように、育児日記のようなものをつけよう、と最初は思っていましたが、そんな暇はないっす。その代りに、この「シドニー雑記帳」に思い付いたことを記録してしまおう、という魂胆であります(^^;)。情報の共有化ですね。って、親バカぶりを公開するだけになるやもしれませぬが・・・。
しかし、もう本当に一日がめまぐるしいこと。子供がいると月日の経つのがめちゃくちゃ早いですね。なんといっても自分の時間が限りなく制限されますから、おっぱい&げっぷ&うんち&おしっこに付き合っているうちに、あっという間に一日が過ぎていってしまいます。これをやろう、あれをやろうと頭の中では計画があるのですが、ちっとも捗りません。まあ、あんまり計画しちゃうと、はかどらないことに苛付いてしまうので、計画自体しないようにしているのですが。
お子さんをもったことのある方なら、だれしも知っている当たり前のことなんでしょうけど、自分で子供をもつまでは、こんなに忙しいとは知りませんでした。子持ちには当然のことなのに、未経験者にはあまり知る機会がないんですよね。
まずは、ちょっとだけ、どんな一日を送っているのか、書いてみます。子育て経験者にとっては、あったりまえで退屈かもしれませんけど。
まず、赤ちゃんというものは周期的に寝て、おっぱいを飲みます。産まれたてでは授乳は3時間おき、と言われます。
ここまで聞いて、出産前の私は「な~んだ、じゃあ、3時間ごとに自分の時間がとれるってことじゃあないの。自分の時間が分断されるだけのこと。楽勝、楽勝」と思っていました。ところが、これが甘かった。
まず、時間的に表現しますと、おっぱい飲んでる時間が30分といいますが、これは機嫌よくゴクゴク飲んでくれた場合です。ふつうは途中で眠くなってしまったり、疲れて動きが止まったりするので、起こしたり中断してゲップを出させたりする時間が加わり、実際には1時間近くかかります。
おむつ替えはそんなに時間のかかる作業ではありませんが、起きた時にはおむつはグショグショなので、授乳前に一度取り替え、また授乳している最中にもよおしてくれるので、授乳が終わって寝かしつける前にも一度取り替えるハメになることが多いです。
さらに超メンドーなのが、ゲップです。もう、「ゲップ出し」の工程さえなければ、どれほど楽か・・・と思います。特にウチのは、お腹に空気がつまりやすいタチらしく、授乳の最中に何度も中断してゲップ出しをしなければなりません(じゃないと、泣く→寝ない→次の授乳時に飲まない等、悪循環になる)。
この「ゲップ出し」が思いのほかハード・ジョブなのです。下手したら腰から肩から、全部筋肉痛になります。簡単にゲポっと出してくれることもありますが、10分ねばっても出ないこともあり、そうなると授乳時間はさらに伸びます。
これらが全部済むと、「寝かしつけ」です。うまい具合にポテっと寝入ってくれることもありますが、グズってなかなか寝ないこともあります。ウチは2人いますから、片方がポテ寝をしてくれても、もう片方がいつまでもグズグズしている、なんてことは日常茶飯。2人同時にグズって泣かれた日にゃ、もう笑うしかありません(^^;)。
これをいかにリラックスさせ、寝かしつけるかは、「テクニック」。「実験&観察」による研究の価値がありますよ。ウチの場合、夫が作ってくれた電動ベビーベッドが威力を発揮してくれてはいるものの、下手すると1時間以上かかってしまうことも。
つまり、「授乳」といっても、この一連の工程が終了するのに、平均で1時間半、下手すると2時間以上、いや、子供にかかりっきりになっているうちに次の授乳時間がやってくる、なんてことすらあるわけです。これが3時間おきにやってくる、ということは、親がゆっくり落ち着ける時間は、3時間のうち、1時間あるかないか。この1時間の間に、速攻でゴハン食べたり、トイレ行ったり、仮眠をとったりするわけです。
なお、このペースは夜も同じです。つまり、親の睡眠時間は1時間ごとに分断されるわけです。連続して眠れるのがたったの1時間ですよ! こんな日が続いたら、眠いとかのレベルを超えて、精神が狂ってきます。それでも授乳中の母親は、身体そのものがこのペースにはまっているので(3時間おきにおっぱいが張ったりする)、まだ自然かもしれませんが、父親は自然の摂理にはかなわないことをやっているわけですから、そりゃ大変でしょう。
でもまあ、ウチの子たちはわりとよく寝てくれるタチなので(というか、そういうふうに親が仕向けたという側面もありますが)、双子のわりには楽していると思います。2週めくらいから授乳タイミングが約4時間おきでしたし、6週めくらいからは夜なんか5~6時間ということもありました。授乳タイミングが5時間だと、格段に楽です。なんたって3時間「も」連続で眠れるわけですから、ありがたや。
なお、おっぱいの生産量は子供が吸った量と、母親の睡眠時間に比例しますので、授乳中のおかあさんは暇さえあれば昼寝でも朝寝でもすべきなんですね。そいじゃないと、おっぱい出なくなります。だから、昼間でも授乳の合間をぬって、「寝たぞ」と思ったら、とにかく自分も速攻で寝るわけです。そしたら、自分の時間なんか全然残ってません。
これがウワサのダブル・フィーディングだ!
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さらに、ウチの場合、2人います。バカ正直にこれをやっていたら、2倍の時間がかかりますから、そしたら1日24時間あっても足りません。ですんで、できるだけ効率化するように工夫します。
まずは、ダブル・フィーディングですね。これは「乳やり日記」でも書きましたが、新米ママにとってはかなり難しいワザです。慣れてしまえばナンてことはないし、確かに時間短縮になるので、一時はシングルフィーディングに切り替えたりもしたけど、授乳時間がまだ長くかかるうちはダブルのほうが圧倒的に効率的なので、結局ダブルにすることが多かったです。
そして、哺乳瓶の導入。ふつう双子の場合は、一人の子は母乳のみ、もう一人は哺乳瓶のみで授乳して、授乳の度にこれをローテーションしていくそうですが、ウチは違う方法をとりました。
最初に2人同時に母乳を与えます。母乳については免疫をいれることを主な目的とし、母乳生産量を次第に減らすように努力しました。母乳を飲んだあとで、哺乳瓶をそれぞれに与えます。つまり、私がダブルフィーディングしている間に、夫はミルクの準備をし、母乳が終わったところで、夫が一人にミルクを飲ませ、私がもう一人にミルクを飲ませる、という段取になります。
このやり方ですと、大人2人が常に必要ですが、時間的には子供一人と同じくらいで済みます。そして、常に2人の子供に同じタイミングで授乳するので、夜もイチイチ2人分起こされなくて済むわけです。それでも、必ずしも常に2人が同じサイクルでいってくれるとは限らないのですが。
しかし、この忙しさ、時間のなさは、私の想像を絶しておりました(^^;)。よく「産むのも大変だが、産んだあとのほうがもっと大変」と言いますけど、なるほど、納得です。産む時は一瞬だけど、産んだあとは延々続きますからね~。
さらに最初の2週間は母体の体力も回復していないし、慣れないダブルフィーディングと乳腺炎と乳首の割れに悩まされ、おっぱいのことで精いっぱい。ベビーブルーによる鬱状態もありますから、たとえば「おっぱいが痛い」というだけのことで辛くて悲しくて泣けてきたりしたものです。
また、「自分たちでは何ひとつ出来ないフニャフニャの命を預かってしまった」という責任も、親の心に大きくのしかかってきます。「こんなワケわからん生命体を物理的にハンドルできるだろうか?」ということと同時に、「この先20年、ちゃんと育てていけるのだろうか?」「経済的に食わして行けるのだろうか?」という不安が迫ってきます。自己責任でやった結果ですから(^^;)「今更」かもしれませんけど、その場になると本当に「途方に暮れる」ような精神状態になるものです。
余談ですけど、先日田村が「安全・安定」について書いてましたけど、確かに日本人は「安全・安定」にこだわりすぎるキライはあるかもしれないけど、子供持ったらやっぱり「安全・安定第一」になってしまうのも仕方ないかなあって思うようになりました。
自分一人のことなら何としてでもやっていけるけど、子供を育てていくことを考えたら、そう簡単に冒険できないし、「あとは現場でどうにかできるさ」という自信は半減します。たとえば、6年前の私のように、知人もいない外国にいきなり行ってしまうという暴挙だって、もしカレンとリサがいたら多分しなかっただろうと。やるにしても、もっともっと慎重に計画して、成算をつけてから実行したと思います。
逆にいえば、子供をもつことによって、もっともっと強く(図太くとも言うか)なるってことなんでしょうね。自分一人で生きていた頃の2倍も3倍も強くなくては・・・と思うし、次第に環境がそうさせていくのでしょう。子供がいる生活をしていると、別の意味で、「あとは現場でどうにかできるさ」という自信と能力は自然とついていくものなのかもしれません。その方向性が、今までとはまた違うのでしょうけど。
さて、体力が回復してきて、おっぱい問題からも解放されるようになると、今度は子供の扱いに右往左往です。ちょっと顔が青かったり、赤かったりするだけで、「もう死んじゃうんじゃないか」とすぐにアタフタ、絵にかいたような新米ママぶり。生後10日目から両親が手伝いに来てくれたので、実践的にも精神的にもだいぶ助かりましたけど、あの時期は夫婦2人だけで乗り切るには、かなり厳しかったと思います。
赤ん坊と付き合う時間が増えて「そう簡単に壊れるもんじゃないのね」ということが分かってくると、精神的にも余裕が出てきます。かなり乱雑に扱っても大丈夫だし、かえって乱雑に扱っているほうが、子供の成長を早めるような気もします。ふつう首が坐るのは3ヶ月頃といいますが、ウチなんか最初から首など気にせず振り回してきたので(というか、そうせざるを得ない状況に遭遇することが多い)、1ヶ月くらいから既にシッカリしてて、片手で立て抱きしてましたし。
3週間めくらいになると、親も子も毎日のルーティンにだいぶ慣れてきて、うまくすると昼間にかなり自分の時間もとれたりして、「そろそろ仕事に復帰しようか」と思う余裕が出てきました。が、ちょっと調子よくいったかと思うと、夜中に泣き続けられたりして、またまた延期。そんなコトの繰り返しでした。
実際には、5週間経過したところで、とりあえず復帰できた、というか、無理矢理復帰したわけですが。これも、都合のいい時に仕事できる、インターネットのおかげ、ですね。
子供と付き合っていると、本当に毎日どんどん変化していきます。昨日OKだったやり方が今日OKとは限らない。あちらはすごい勢いで成長しているわけだし、ナマモノだから当然調子やら機嫌がいい時とそうでない時がある。親としては、その変化に常にフォローしていかねばならないわけで、これをうまくやるコツは「実験&観察」しかないわけです。「アロマ人体実験」じゃないけど、ホント、毎日「仮説→実験→考察」の繰り返しです。
ところで、最近(に限ったことではないのでしょうが)日本では(って日本だけじゃないんでしょうが)、母親が赤ちゃんをいじめてしまう、殺してしまう、なんていう悲しい事件が相次いでいると聞きます。なんでまた自分が産んだ子を虐待したり殺しちゃえるものか?と疑問でしたが、その気持ち、今はとってもよく分かります。
もう理由も分からず、ビービー泣く赤ん坊とずっと対していなければならないというだけで、どれだけ精神的に追いつめられることか。さらに、相談する相手もいない孤立した環境にあったら、ブチっと切れるのも時間の問題でしょう。あの赤ん坊の声というのは、なにか神経にさわるものがありますし(それが彼らのサイバイバル技術なのでしょう)。親としては、まず慣れない仕事をしているわけですから「不安」なんですよね。
幸い、私は夫をはじめとする周囲の協力体制に恵まれているから、おそらく平均的なおかあさんよりは精神面で余裕があるのでしょう。自分がイライラしだしたら、夫や両親やベビーシッターさんにホイと渡しちゃう。こういうことで「母親失格」だとか、無責任だとかで、罪悪感も感じないタチなんです。それどころか、「イライラしながら常に子供と対しているより、自分が余裕がある時に思う存分付き合ってあげたほうが、子供にとってもずっとマシ」と思うんですよね。まあ、周囲にホイと渡せる人がいるということ自体が、大変恵まれている環境なのは言うまでもありませんが。
そんな具合で、適当に子供との距離を置く時間が持てるので、今でも顔を見るたびに「まあ、なんてカワイイ子なんでしょ」と親バカ丸出しでつぶやいてしまいます。ビービー泣いている時ですら「かわいいなあ」って思えることもあるし、「どうやったらもっと泣くか」なんて実験も楽しめる。
でも、「こりゃとても一人でやってられるもんじゃないぞ」と思いますね。こんなに恵まれている私でも、時に「うるさい、まったくいつまで泣いてんだ!」と子供にあたり、おしゃぶりを無理矢理口にグイと突っ込んでしまうこともあります。おかあさん(に限らず世話する人)の精神状態はそのまま子供に影響しますから、こっちがイライラしていると、子供も落着かないわけで、どんどん悪循環になっていく。だからこそ、おかあさんの精神状態が安定するような周囲のヘルプはあってしかるべきだと思う。
ウチの場合は、夫が大変熱心で、私以上に子供の世話をよくします。もちろん、双子だから夫が育児に参加しなければやっていけないという現実問題もあるし、オーストラリアの社会環境がそれを許してくれるということもあります。
(ちなみに夫は私の出産前後に3週間くらい会社を休んでいます。その後も勤務時間を減らしたり、休みをちょくちょく取ったり、という勤務状況が続いていますが、会社のほうはそれで納得しているみたいです--本当だろうか??)。
うんち噴射の恐怖と闘いつつ、
おむつ替えする夫の図
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が、それプラス、デンマーク文化背景をもった人であること(夫婦で育児するのが当たり前らしい)や、出産に立ち会ったので、産まれる時から私と一緒に子供たちに関わっているという自覚があることも影響していると思います。
世間では「母性本能」「母性愛」なんてことが語られていたりしますが、そんなもんあるんかいな?と私は疑問です。それを言うなら、「父性本能」「父性愛」だって、同等に語られていいハズだと思います。
確かに私は子供たちのことが大好きだし、なにがなんでも守りたいって思います。でも、現実には、すごーくメンドイことばっかです。たとえば、人が睡眠不足でようやく寝入ったところ、うるさい泣き声で起こされた時、すぐにベッドから起き上がって抱きあげに行けるか?、あるいはダミー(おしゃぶり)を落す度の再三の呼び出しにイチイチ付き合ってられるか? というと、そう簡単なことじゃないです。
ところが夫はこれを辛抱強くやるんですね。夜中に子供が泣き出した時、最初に子供を抱き上げにいくのは夫です。私は気付かずに寝ていることのほうが多い。なかなか寝付かない子供のグズグズに根気よく付き合うのも夫。原因不明の号泣にとことん付き合って、彼女らの要求を読み取るのも夫。
いや、なにも私は自分の怠慢ぶりを公開したいわけではないのですが(^^;)、夫と子供たちとの関わりを見ていると、特に自分だけが「母性本能」やら「母性愛」に満ち満ちているというわけではないよなあ、と客観的に認めざるをえないのです。
また、世間でいうところの「おっぱいを通した母子の絆」ってのも怪しいなあって思います。口唇欲求がおっぱいによって満たされるのは事実でしょうが、それが不十分だと不良になる、なんてこたーないだろう。なにかの事情で最初からおっぱいをあげられないおかあさんだっているわけだし、その子たちが不幸かというと、そんなことはないでしょう。
それに、おっぱいの出ない父親とだって、哺乳瓶での授乳、抱っこ、おしめ替えなど、毎日のお世話の中で、「愛の絆」は母親と同じように築けます。ちなみに、私は今、母乳と哺乳瓶を併用していますが、母乳をあげている時と、哺乳瓶でミルクをあげている時とで、子供との距離や関係性や情愛が変わるとは全然感じません。
よって、おっぱいと絆・愛情は必ずしもイコールではないぞ、と。
ウチは双子だったから、仕方なくダブル・フィーディングをしたり、途中から哺乳瓶との併用をしたりしてきた関係で、それほど「美しい乳やりの図」を経験していないこともあるのでしょう。乳首が割れて痛かったりしたので、最初はあんまり授乳そのものが好きになれなかったし、仕事にも早く復帰したかったから母乳にこだわる必要もないって、わりと早くから割り切ってましたし。
一方、夫側からすると、当初母乳オンリーだった頃は、時に私のおっぱいに嫉妬しているようでした。たとえば、ダブルフィーディングの最中は夫はただ待つのみでヒマなのですね。寝かしつけでも夫があの手この手で寝かしつけようと頑張っているところ、私がおっぱい持ち出したらパタっと寝てしまったりとか。「自分には絶対にできないこと」を見せ付けられると、「オレって育児に参加する資格(あるいは必要)ないかも」と思ってしまうんでしょう。
私としては、そんな夫の気持ちを出来るだけ汲みたかったので、「母乳を吸う目的以外のおっぱい」は出来るだけ与えないようにしてきたし、「おっぱい」を母親としてのアイデンティティにして、振りかざすことがないように、自分自身もおっぱいにこだわらないようにと、気をつけてきたつもりです。おっぱいは、あくまで子供たちに免疫・栄養を与えるために利用する「夫婦共用育児グッズ」みたいな。
よく「父親はもっと育児に参加すべきだ論」を聞きますが、確かに私もそうは思いますが、世のお父さんが育児に参加できないのには、理由があるんだと思います。参加したいという気持ちをもっているお父さんだって沢山いるのに、なかなか社会がそうはさせてくれないという。
ひとつは、言うまでもなく「仕事を休めない」という物理的・時間的な制約。日本じゃ子供が産まれたくらいで長期休暇など取れないし、赤ん坊のおっぱい周期に付き合っていたら仕事に差し障るというのも、よく分かります。たしかに、子供たちを育てていく上で、経済的な基盤はとても大切ですし、それを一手に担う父親としては今まで以上に「ねじりハチマキ」で仕事に精出そうって思うのも自然ですし。
しかし、仮に「父親にも育児休暇」が当たり前になったとして、それだけでお父さんは育児に参加できるでしょうか?
私が思うに、父親の育児参加を阻害している根深い要因は、「母性本能・母性愛」信仰であり、「おっぱいによる母子の絆」信仰ではないか?と。これが男性を心理的にハジいているような気がする。父親にだって育児する資格もセンスも本能も愛情も十分持てるんだってことが、これらの信仰の裏側で否定されてしまうんじゃないかと。実際はそんなことないのに、そう信じさせられてしまっているんじゃないかと。
また、これと裏腹に「子育てなんかをやる男は、男らしからず」的な概念も付いているような気もしますね。昔から「おんな・こども」と言うように、女と子供は一括りで、男には別の世界が存在するのであり、わざわざその「おんな・こども」の世界に入ろうとする男は情けない、カッコわるいとされてきました。
女性に経済力がなかった昔ならば、それはそれで一理あったのでしょう。が、表向きだけとはいえ、いちおう男女平等の現代において、いまだこんな古い価値観にとらわれているのは、どうも「勿体ない」気がします。子育てという作業には、男性にとっても沢山学べることがあるのに、その折角の機会を逃しているわけです。
ちなみに、26才で博士課程を修了している夫は、「子育ては、PhDよりも難しいし大変。でも、ものすごく楽しいし、価値がある」と言います。「やる前に想像していたのと、全然違う」と。
もっとも、父親が疎外されるという問題は、こういった概念以前に、もっとプラクティカルな要因から来ているのかもしれませんね。母乳で育てる以上、授乳の際に母親が存在することは絶対条件になるし、やろうと思えば母親一人で十分全部やってしまう。だから、父親としては「俺ってカヤの外」と疎外感を感じてしまいがちで、その代りに「エサ運び役」に徹っすることになるんじゃないかと。
ちょっと脱線しますが、ウチは双子だったから父親を疎外せずに済んだ、という側面もあろうかと思います。夫が言ってましたが、「ウチは双子でよかった。一人の子だったら、きっとマキさん一人で世話できちゃうから、こうして夫婦で一緒に育児を楽しめなかったかもしれないよ」と。
私もこれには深く同意しています。もし、一人の子に対して、この作業を私一人がやっていたら、きっともっと退屈で負担になっていたんじゃないかと。夫婦2人でやるから楽しいって思えることが多いんじゃないかと。
たとえば、おむつ交換の時に、ウンチを引っかけられても、夫婦でやっていたら「よくやった、カレン!」と一緒になって笑えますが、一人でやっていたら情けなさ、腹ただしさ、「また洗濯物が・・」という面倒臭さなどが先にたって、とても笑えないんじゃないかなあ、とか。
また、哺乳瓶を与える段では、”ダディ&カレン チーム”と”マミィ&リサ チーム”みたいに、2チームが出来る格好になって、会話もはずみます。会話っていっても、大人が子供に一方的に話し掛けているだけですけど、隣に別のチームがあるからこそ、余計に子供に話し掛けることが自然に出来るような気がします。
誰だって言葉もわからん赤ちゃんに話し掛ける気なんか、そうそう起こらないでしょうが、少なくとも側に自分が言ってることを理解してくれる大人がいたら、赤ちゃんに話し掛ける気にもなるわけで。
こんなふうに、双子だからこその大変さもある反面、育てる上で「双子って得だな」って思うことも結構あるもんです。他にも、2人いるから成長ぶりや様子を比較しながら「一卵性双生児でもこれだけ違うんだから、子供によってそれぞれ違うのが当たり前なんだろう、定説なんかアテにする必要はないぞ」と判断して安心できるなど、育児経験が一度に2倍になるので、親の度胸と自信がつきやすい、ということもあるような気がします。
妊娠中、「双子なの」と言うと、よく「Oh, Double Trouble!」と言われました。こっちは一度に2人も授かってラッキーと思っているのに、なんでまた、そーゆーネガティブな言い方されちゃうのかなって、よく分かりませんでした。
たしかにトラブルはダブルですが、喜びも楽しみも、きっと倍以上だろうって思いますよ。お得なことだって沢山あるし。もっとも、一人の子を育てたことがないので、双子に比べて、どっちが大変とか、いいとか、比較しようがないのですが。
オーストラリアの子育てに関して、少し書いてみます。
地域の支援体制
私はプライベートの病院で出産したので、公立病院よりも長い間入院することが出来ました。それでも帝王切開で6泊がふつうです。看護婦さんには「自宅に帰っても大変だろうから、もっと長くいてもいいのよ」と言ってもらったのですが、あの時はとにかく早くウチに帰りたかった。ものすごく設備の整ったいい病院で、看護婦さんたちも親切で大変なヘルプにはなったのですが、それでももう病院生活にはウンザリという感じでした。
で、退院する前夜には、看護婦さんが個室に来てくれて、退院後のケアについて説明を受けました。まずは、Early Childhood Centre に予約をとること。これは各地域にある公共サービスセンターで、小学校に入学するまでの子供の健康管理を手伝ってくれる組織、と理解しています。通常、生後4週間までは週イチで通って、体重測定など成長具合をチェックし、心配ごとがあれば相談してくる、という。
ウチの場合、徒歩10分もかからないところにあるので、ベビーカーに乗せて散歩で行けるわけですが、最初は2人を外出させようとすると嵐のような騒動になるので、体力も回復していない生後間もない時期は、とても自分一人では行けなかったと思います。
このセンターに電話してみると、「双子の場合は、看護婦さんが家庭訪問してくれる」という。「それって追加費用いくらですか?」と聞くと、「当然タダよ」と。おお、こういうところに税金が使われていたのか。双子でラッキー。
この看護婦さんの家庭訪問は本当に助かりました。合計4回来てくれたことになるのかな。2人分の測定をして、いろんな相談に乗ってもらうと、約2時間。こんなサービスが無料なんて、オーストラリア人はなんて太っ腹なんでしょう(^^;)。
来月からは「もう自力でセンターまで行けるでしょ」ってことで、センターで主催されている「マザーズ・グループ」なるものへの参加を勧められました。センター側が同じ月齢の子供をもつお母さんを集めて、グループ・カウンセリングのようなことをやるのですね。育児の息抜きというか、おかあさんの精神ストレス発散を目的にしたものではないかと思われます。それこそ、孤立した環境で、不安に追いつめられて赤ちゃんを虐待したりしないように、ってことなんだろうな。まだ参加していないので、どんなもんか分かりませんが。
ところで、「マザーズ・グループ」のことを看護婦さんから聞いた夫は「僕も参加していいのかな?」と質問しました。「いやあ・・・、これは”母親の会”だから。ふつうは父親は来ないわねえ。というか、父親は仕事で忙しいことが多いし。本来なら、”父親の会”もあるべきなんだけど、残念ながらそこまで組織されていないのよねえ」との回答。
看護婦さんが帰ったあと、夫は「性差別だ」とちょっと鼻息荒げてました(^^;)。育児は夫婦2人でやるものなのに、なぜ母親だけなんだ、と。「この国は表向きは先進ぶっているクセに、実際には時代遅れなんだよな」と。この説については、私はうんうんと深く頷けます。他にもいろいろと例があるんで。詳しくは、またの機会に。
おおらかなオーストラリアの育児
オーストラリアの育児については、まだそれほど情報が入っているわけではのですが、妊娠・育児系の雑誌や、病院での両親教育、家庭訪問してくれる看護婦さん等から感じられる全体的な印象としては、「いやあ、結構おおらかでいいなあ」という感じです。
あまり「あれしちゃいけない」「こうすべき」という押し付けが少ないし、あっても「そういう説もあるけど、あなたたちの子供なんだから、あなたたちが判断して取り入れるなり、無視するなりすればいい」という、ゆるやかさがあります。別の言い方をすれば、なんでも「自己責任」として突き放される。そういや、育児や出産に限らず、社会のベースにこの概念が一環して流れているような気がします。
先ほどの Early Childhood Centre 訪問にしても、マニュアルには「必ず退院前に予約すること」と書いてあるけど、看護婦さんは「これは義務でもなんでもないし、行く必要がないと思うなら行かなくてもいい。プライベートの赤ちゃん専門医(Paediatrician)に行ってもいいし、GP(一般医)を利用したっていい」と言います。
寝かせかた、ミルクの飲ませかたにしても、これが絶対とか、ベストとかいうものはない。子供も親も、それぞれに違うのだから、親子ともにハッピーで子供がそこそこ育っていればOKというノリですね。うまくいっていない時でも、母親や育て方のせいにしない。まずは、「Don't worry」から入って、「少しこういう傾向があるけど、こういう点に気をつければ大丈夫な筈だから、トライしてみて。うまく行かなかったら、また相談しましょう」ってな感じ。
成長具合についても、あんまり「標準」にこだわっていないみたいです。もともと人種混合のお国柄から、標準にこだわりようがないのかもしれませんが。9ヶ月で12キロある子もいれば、3才で12キロの子もいますしね。一定範囲内におさまっていればOKだし、その範囲もずいぶん幅があるような気がします(もっともこの幅が日本の場合はどうなっているのか知らないんですけど)。平均値からみて上だ下だとコメントするより、「この範囲内だからGOOD!」という言い方をされることが多いです。
予防接種
まだよう勉強していませんが、どうやら世界の中でもオーストラリアは予防接種プログラムに関しては一日の長があるらしいです。というのは、世界各国からの移民を受け入れているので、先進国では根絶したとされる病気もいまだ発生のおそれがあったりするのでしょう。
要するに、たくさんの予防接種が存在するということですが、どれ一つとっても「義務」というものはない。親の判断で受けさせなくてもいいわけです。学校で受ける場合にも、親の許可書がない限り、受けることができません。日本のような「集団予防接種」はありえない、というわけです。
ただ、予防接種を受けていない場合は、小学校など集団生活の場で、その病気が発生したとき、「キミはしばらく学校に来てはいけないよ」と指示されることがある、のだそうで。
ただ、たくさんの予防接種があるということは、同時に予防接種による副作用や事故も発生しやすい、ということでもあり、だからこそ、親の判断・責任において、とされているのでしょう。親はしっかり勉強しないとイケマセン。
出生届け(姓と国籍の選択について)
詳しいルールは知りませんが、ウチの場合は両親ともガイジンながら永住権を所持しているので、生まれた子供たちはとりあえずオーストラリア市民になります。同時に、日本領事館とデンマーク領事館に届け出を済ませることによって、日本とデンマークの国籍も「保留」することが出来、要するに三重国籍になります。大人になった時、本人の意志で国籍を選択することになるのですが、産まれながらに3つの国籍の可能性があるというのは、ちょっと羨ましいですね(^^;)。
ところで、名前ですが、ハーフの子の場合、日本名と英名を併記して登録することが多いようです。「花子 パトリシア」とか「太郎 ジョージ」みたいなやつですね。ウチの場合は、日本語と英語をダブらせて命名したので、名前(given name)はひとつだけです。
名前のほうはわりと簡単にカタが付いたのですが、姓(family name)をどうするか?で迷いました。
ウチは結婚した時にも、お互いもともとの姓をキープしたので、夫婦でもファミリーネームは異なります。夫の姓は Sondergaard といって、いかにもスカンジナビアンっぽくて、やたら長いのが難。私の姓だって、Fukushima ですから、長いわ読みにくいわで、カッコよくないです。両方の姓をくっつける(Sondergaard-Fukushimaみたいな)というテもありますが、それじゃ、長いの+長いの=超長いの になってしまうし。
オーストラリアでは、産まれてきた子供にどんな姓をつけてもOKなので、もういっそのこと我々と全然違う姓をとってつけちゃおうかとも考えました。また、オーストラリアでもデンマークでも、姓は個人の自由で変更できますので、いっそのこと家族丸ごと姓を変えちゃおうか、という案もありました。
しかし、気付いてみると、オーストラリアでもデンマークでも姓を変更できるのに、日本では結婚か養子縁組でもしない限り、変更できないわけです。それなら、変更できない日本名を優先させて、Fukushima をとろう、ということになりました。この姓が気に入らなければ、子供たちがあとで勝手に変更すればいいんですから。
実は、この Fukushima という姓は、私の元だんなの姓なのですね。離婚した時、諸処の手続きが面倒臭かったのと、姓にこだわりがなかったので、両親の戸籍に戻さず、そのままの姓で独立した戸籍を作ったんです。もう人生の半分近くを福島姓で通してきていますから、他人からの借り物的な気分はまったくないのですが、こういうのって「結婚は家同志のもの」とする昔の人は嫌がりますよね(^^;)。両親の世代が好まないのは分かっているんですが、自分で好きな姓が名乗れる国に住んでる私の感覚では、「とりあえず日本名を持っておくことだけが目的なんだから、なんだっていいじゃん」ってなもんです。
そんなわけで、ウチの子たちは「Karen Fukushima」「Lisa Fukushima」が出生証明書上の姓名になっています。
ところが、出生届けを出し終わったあとで気付いたのですが、どんな姓でも自由に付けられるし変更もできるという制度になっているクセして、実社会では家族のファミリーネームが同じではないことで、いろいろな障害があるんですね。
たとえば、メディケア(国民保険)カード。ふつうは両親の名前が入ったカードに子供の名前が列記されるのですが、ウチの場合は、私のカードにのみ子供たちの名前が列記されていて、ラースの名前は記載されていませんし、ラースのカードには子供たちの名前が記載されていません。まるで私の私生児のような扱い(^^;)。メディケアにクレームすると、「コンピューターのシステム上、そういうふうに記載できない」と言うわけです。なんという矛盾。これでは、ラースが子供たちを医者に連れていけないことになる(実際はカードなしでも診てもらえるからOKなんだけど)。
まあ大した問題ではありませんが、このような小さな障害は今後もいろいろ出てくるんでしょうね。私たち夫婦は自分たちで選んだ結果だからいいとしても、子供たちには迷惑かも。でもまあ、こんなくだらんことでメゲないで、強く生きて欲しいものです。その分、3つも国籍持ってるんだし(^^;)。
ところで、ウチのは、一卵性双生児です。
たしかに顔の部品はソックリですし、とても他人には見分けがつかないようです。2週間居た私の父も最後までイマイチよく分からなかったし。写真を撮るたびに「今の、どっち?」と聞いては、メモしてました(^^;)。
私も生まれてくるまでは「親には見分けがつくのだろうか?」とちょっと心配だったのですが、1日目はわからなかったが、2日目から確実に見分けられるようになりました。産まれた時はカレンが子宮口で出られずに苦しんでいたので、頭の形がとがっていて、一方リサは帝王切開で丸い頭のまま出てきたので、判別しやすかったんですね。
次第に、カレンの頭が丸くなり、肉がついて顔も丸くなってきたので、他人には判別が難しくなりました。さらに最近では、今まで見分けるポイントになっていた部分が変わってきたので、ますます見分けがつけにくくなり、親でも寝ぼけていたりすると取り違えたりします。
育ちかたもほとんど同じ。生まれた時から、たったの10グラム違いで、その後も10グラムと違わずに成長しています。6週間検診の時は、身長・体重ともピタリと同じ数字で、ちょっとゾっとしました(^^;)。
でも、身体的特徴や反応は結構違うんですよ。たとえば、片方はミルクを吐きがちで、うんちが緑になりやすいとか、片方はオーバーヒートしがちだとか。泣きかたや泣き声も違います(といっても、これは他人には分からないようですけど)。今までの観察結果からすると、たぶん、性格も違うんじゃないだろうか?と思われます。
これから同じDNAを持つ2つの生命体がどのように成長していくのか、楽しみですね(^^;)。
ついでに、ウチのは、ハーフです。
今のところ、ガイジン風の顔してますね。けど、デンマーク人に言わせると「奥さんに似ている」のだそうで。夫に言わせると「目から上はデンマーク人で、鼻から下は日本人」と言いますけど、そうなんでしょーか? 私から見ると、どう見ても、どっちにも全然似ていなくて、めっちゃカワイイんですけど(^^;)。(ああ、親ばか)
ハーフのお子さんをもつ人たちの話では、ハーフは成長過程で、日本人っぽくなったり、ガイジンっぽくなったり、コロコロ変わるんだそうです。髪や目の色まで変わっていくそうなんで、楽しみ。
しかし、西洋人と日本人の赤ちゃんの違いって、結構あるものなんですね。
まず、驚いたことに頭が禿げるんです。日本の赤ちゃんも、頭の後ろは寝ている間にグリグリ擦り付けるので抜けてくるといいますが、ウチのは前のほうからどんどん抜けていって、ハゲオヤジ状態になっています。ラースにいわせると、「新生児の髪は一度全部抜けて、また新しい、もっと強い髪があとから生えてくる」というんですけどね。そういや、最近、禿げたあとに黒いのがまた出てきましたけど。
それと、汗の臭いこと(^^;)。よく西洋人は体臭が強いから香水なんかをバリバリつけるんだ、というハナシがありますが、たしかに体臭は強いようです。が、このアカンボたちの臭いこと! 生後6週間までは、体温調整が出来ないそうで、汗もかかなかったので、「赤ちゃんのいい匂い」に酔いしれていましたが、汗かくようになったら臭い、臭い。
ラースも子供相手に「くさいなあ」と文句言いつつ、自分の脇の下をかいで「同じ匂いだ」と、フクザツな表情をしています(^^;)。
面白いのが蒙古斑。カレンは身体じゅうに蒙古斑があるのに、リサにはほとんどないんです。そういや、なんとなくですが、カレンのほうが日本人っぽくて、リサのほうがデンマーク人っぽいかも。といっても、他人から見れば違い分からないでしょうけど(^^;)。
しかし、こんな意味も他愛もない、小さな違いやら特徴やらを発見してはイチイチ喜んでいるという。この状態を指してこそ、「オタク」と言うのではなかろーか? 「親バカ」と「オタク」が類語だったと、今、気付きました。
育児に関して、今までに発見した日欧の差を、少し書き出してみましょう。
ラップ(おくるみ)
日本にも「おくるみ」というモノはありますが、あれは外出する時などに使うものですね。こっちの「ラップ」は、眠る時に身体をきつく巻いてやるものです。病院のミッドワイフの話では、赤ちゃんは子宮の窮屈な空間で暮してきたので、しっかりとラップしてやると、安心してよく眠れるんだそうで。
日本から手伝いに来てくれた母は、「これはいいわ」と感心していました。母が感心したポイントはミッドワイフ説とは別でして、赤ちゃんは寝入る時に自分の手がビクっと動くので驚いて起きてしまうんだけど、こうしてラップしてやると手が動かないから、寝入りやすいんだというわけです。
なるほど、どっちの説も「なるほど」ですね。
お風呂は3日おき
病院では「お風呂にいれるのは3日おきくらいで十分、赤ちゃんはそんなに汚れないから」と言ってました。日本では「できれば毎日」と言われているそうですが、この違いは何なんでしょうね?
お風呂文化の違いがそのまま現れているのかもしれません。日本では、お風呂ってのは汚れを落すばかりじゃなくて、リラックスしたり、循環促進したりという側面を大事にしますもんね。まあ、もっとも湿気が多くジトジトして汗をかきやすい日本と、ドライなオーストラリアという気候条件も、こういう考え方に影響しているのかもしれませんが。
「布おむつ」はタオル地
日本の布おむつといえば、昔からサラシと相場が決まっていますが、こちらの布おむつはタオル地なんです(他タイプもあるけどタオル地が多い)。どちらもコットン素材ではありますが、だいぶ違いますよね。
日本でタオル地なんか使ったら、お尻はむれるし、洗濯してもなかなか乾かなかったりして不便だという気候的理由もあるのかもしれません。
ちなみに、ウチでは「貸しおむつ(タオル地のおむつを週イチで届けてくれて、使いおわったやつを洗ってくれるサービス)」と「紙おむつ」を併用しています。
どっち向きで寝かせるか
日本では一昔前までは、「うつぶせ寝」が流行でしたが、今では原因不明の急死をおそれて、仰向けに寝かせろ、と言われるようになりました。この流れは西洋でも同じらしく、「Sudden Infant Death Syndrom」対策として仰向けが奨励されています。
しかし、上向きでは、胃からミルクが上がってきて吐いた時に、それが気管に入って窒息する可能性があるので、危険だという説もあります(それが一昔前までの西洋での定説だったらしい)。とりあえず、一番安全なのは、横向け、ということになりそうです。
ウチでは子供たちの様子を見ながら、いろいろやってます。子供は自分で方向転換できませんから、その時に心地よく眠れる方向を見つけるように実験観察するわけです。うつぶせ寝のほうが寝いりやすいなら、それでもいいじゃん、と思います。事故がこわいなら、子供が寝入ったあとで、そっと向きを変えてやればいいんだし。あんまり、「どっち向き寝」にこだわる必要もないんじゃないかなあって。
COLICと夜泣き
日本では昔から夜泣きのことを「かんの虫」などを呼んで、得体の知れない「虫」のせいにします。誰のせいでも、なんのせいでもなく、自然現象なのだから、そのまま受け入れよう、みたいな発想から来ているのでしょうか。
西洋で夜泣きに当たるのは、どうやら COLIC(コリック)と呼ばれる「せん痛(お腹痛い病)」のようです。どうして赤ちゃんのお腹が痛いって分かるのか不思議ですけど、前かがみになって苦しい顔して泣くから、らしいです。
これは私ら夫婦の推測に過ぎませんが、この夜泣きとコリック、実の原因は「ゲップ出し不足」じゃないかと見ています。お腹に空気が入ったままになっていると、痛くて苦しがるんですね。一度は寝入っても、夜中にお腹の中の空気に気付いて泣き出したりするわけです。空気が出てくるまでずっと痛いから延々泣き続けるし、興奮して泣いていたんではゲップは出てこないしで、最悪なわけです。
で、親からみると、原因であるところのゲップが出てこないので、ゲップが原因だとは考えないのではないか?と。
ウチの子たちもお腹に空気がたまりやすいタチで、ゲップ出しが十分じゃないとビービー泣くんですが、ある時ラースが偶然、お腹の中に空気が詰まっていることをお腹を触って発見し、さらにその部分を軽くマッサージしてやることでゲップを押し出すことに成功したんですね。「こんなことをやっちゃっていいのだろうか?」と不安でしたが、同じ問題のある赤ちゃんをもつ人が、こちらのミッドワイフに、このお腹マッサージを教えてもらったと言いますから、どうやら正解だったようです。
もし、お宅のお子さんが夜泣きで困っているようだったら、一度ゲップ出しを念入りにやってみたらどうでしょう? 夜泣きの原因はその子によりけりでしょうが、もしかしたらゲップで解消する子もいるかもしれませんし。
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なにはともあれ、とりあえず、大変だけど、けっこう楽しんでやってます。なにが面白いかっていうと、やっぱり「実験&観察」ですね。「アロマ人体実験」のノリで楽しめますもんね。(ちなみに、赤ん坊を実験台にアロマ実験もやってます。詳しくはこちらをどうぞ。)
あと、表情の変化など見ていてカワイイし、面白いし、飽きない。新生児だって、ただ泣いて、おっぱい吸って、眠ってるだけじゃなくて、その間に様々な表情を見せてくれるんですね。コメディアンみたいだねって、よく夫婦2人でウケてます。特に、4週めくらいから笑顔を作ってくれるようになって、こうなるとカワイさ倍増です(^^;)。
また、成長具合が見てとれるのが、楽しいということもあります。なにかが成長していく姿を見ているということ、それ自体が人生を明るくするものですね。これは、私がオーストラリアに来た頃の、日に日に英語力が伸びていくことによる充実感と、非常によく似ています。
もうひとつ、単純に体の触感がたまらなく気持ちがイイってこと。ほっぺやお尻など、ぷよぷよ、すべすべしていて、触っているだけでシアワセな気分になります。この「きもちいい感触」を好きなだけ楽しめるのは親の特権(^^;)。もう、用もないのに、頬ずりやらキスやら、やたらしてしまったりして。向こうは結構迷惑そーな顔してますけど。
それにしても、子供の成長は早いものです。こんな時期はほんのわずかなのでしょう。すぐに大きくなっちゃうんだから、今のうちに十分付き合って、十分楽しませてもらおうって思っています。
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2000年09月12日:福島
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