~ 出産ドキュメント ~
19日朝7時頃、陣痛で目覚める。明日までに出てこなければ、陣痛促進剤を打つことにしていたから、タイムリミット直前になって自力で出て来ることにしたらしい。なにかの状況に似ているなあと思ったら、「試験直前になって慌ててやる一夜漬け」じゃないか。
朝から15分に1回の軽い陣痛(重めの生理痛のような感じ)が1日じゅう続く。生理のような出血。アロマバスにつかると、痛みもほとんど和らいでしまう。この程度の痛みならば楽勝だ!と、のんきに構える。夫とレンタルビデオを見たりして夕方までのんびり過す。
午後6時頃、陣痛間隔が10分に1回になったので、いちおう病院に電話してみる。「できたらもう少し自宅で過したいんですけど、ただ1点気になるのが、出血なんです」というと、「すぐ病院に来て」と言われる。慌てて入院用の荷物の準備、ホームページへの告知、関係者へのメール発信など、仕事を済ませる。
7時半頃:病院入り。
ミッドワイフ(助産婦さん兼看護婦さん)出血のついたパッドを見せると、「破水しているわね」とのこと。たぶん、昨夜寝ている間に破水していたのだろう。ということは、すでに破水してから12時間以上経過していることになる。できるだけ早く胎児を出してやらねばならない。
「なぜ破水に気付かなかったのか?」
実は私も「破水していたのに気付かなくって」という出産経験者の話を以前に聞いていて、「なんで水が出てくるのに気付かないんだろう?」と不思議でした。が、破水といっても、洪水のようにドバッと出てくるばかりではないのですね(そういうケースもあるそうだが)。私の場合は、カレンが子宮口にしっかり固定していたので、ドバッではなく、チョロチョロと出てきていたみたいです。それに、ずっと前から少量の出血があったものですから、その血に羊水が混じって出てきていたので、「出血量が増えた」としか思わなかったわけです。さらに、生理用パッドをあてていたので、どれくらいの量が出ているのか、よく分からなかったんですね。
1時間ほど病院内を歩いたりして様子をみるが、陣痛は少しずつ強くなってくる程度。
9時頃:ミッドワイフの判断で、陣痛促進剤を打つことに。これが驚異的に私には効いてしまい、あっという間にひっきりなしに強烈な陣痛が来るようになる。こうなると、もうアロマ実験どころではない。陣痛の合間に「そこにあるNO3ー1のオイルを持ってきて」と夫に指示するのだが、夫が目的のモノを探しあてる前に、次の陣痛が来てしまうのだ。陣痛の間は夫に腰を強く押していてもらうとだいぶ楽になった。
陣痛は遠慮なくすごい勢いで襲ってくる。この痛みとコープするために、いろいろトライしてみるが、発声練習のようにロングトーンで声を出していると、これに気が向いて痛みが凌ぎやすいことに気が付く。それでも、コープしきれなくなりそうな勢いだったので、ミッドワイフに「エピュデュラル(脊髄に直接いれる下半身麻酔)」を打ってもらうよう依頼する。最初から主治医も「双子にはエピデュラル」と決めていたので、いずれ打つなら今から打ったほうが鎮痛効果が出やすいのではないかと思ったのだ。
麻酔担当のミッドワイフがやってくるまでの間に、これまた陣痛は盛り上がってしまい、エピデュラルをいれる頃には大変なことになっていた。脊髄に直接チューブを差し込むから、動くなというのだが、陣痛が来ている最中に動くなと言われてもちょっと大変なのである。しかし、下手したら下半身不随にもなりかねないので、必死にこらえる、夫は必死に私を抑える。
ところが、ここで不幸なことに、麻酔担当のミッドワイフは失敗してしまったようだ。管を脊髄に届ける間に、血管にぶつけてしまい、出血しだしたのだ。これで、せっかく入れた麻酔が下半身に留まらず、血液を介して体内全体にめぐるハメになってしまい、全然効かないことに。そこで、別の入り口からもう1本の管を入れてみるが、これは正しい場所ではないので、ほとんど痛み止めにはならなかった。
つまり、鎮痛剤なしのまま、陣痛促進だけが不自然に急進行しているという最悪の状況にいたる。ミッドワイフたちは、ほとんど1分おきくらいに私の体温と血圧をチェックしては、「こりゃ大変だ」というムードを醸し出している。最初は2人だけだったミッドワイフがいつのまにか8人にも膨れ上がり、壁ぎわで不安げな顔でミッドワイフ同志が専門用語を羅列させながら話し合っているという。夫はどんどん不安になって、そのミッドワイフの会話に差し入り「率直に言って、どのくらい悪いんだ?」と聞くと、「実は、かなりよくない」という返事が返ってきたという。
私の血圧上昇具合は尋常ではなく、このままではショック死しかねないという。かといって、血圧を落とす薬を入れれば、それによって第1子(カレン)が死ぬ可能性が高いという。とにかく、このままでは危ないということで、一度、陣痛促進剤の投入を中止することになった。
午前2時:再度、ミッドワイフが血圧を測定し、子宮口の開き具合を内診。この時点で、まだ子宮開口4センチのみ。もともと2センチは2週間前から開いていたのだから、これだけ陣痛促進剤を打って苦しんで、それでたったの2センチしか開いたことにならない。私は「絶対になにかがおかしい」と直観した。今までは「痛いけど、これを乗り越えれば子供たちに会える」と思ってひたすら頑張ってきたけど、この方向性はなにか間違っている、と思った。なにしろ尋常な痛みではない。
これも後から聞いた話だが、この時の内診で、第1子がストレスで汚物を出していて、羊水が濁っていることが分かったそうだ。そこで、緊急に主治医が呼ばれることになった。(主治医は出産=第二ステージから立ち会うのがふつうです)
さて、激しい陣痛に襲われている私としては、主治医が登場するまでの間、どうやって痛みをしのぐか?という当面の問題がある。麻酔は相変わらず全然効かないし。そこで思い付いたのが、ガス。病院を事前視察した折に、各分娩室にガスが備わっていることを確認していた。「ちょっと、そこにガスがあるでしょ? それ、ちょーだい!」と叫び、ガスマスクに吸い付いた。
ふつうは、痛みを和らげる方法として、ガス<パセデイン<エピデュラルの順に効くと言われているのだが、このガスが私にはとても効果的だった。ガスの効果そのものは大したもんではなく、痛みの度合いとしては今までとさして変わりがないのだが、ガスのせいで頭がどんよりしてくるので、イメージングをするのにピッタリだったのだ。陣痛のヤマバがやってきた時に、今まで妊娠中に何度もイメージしてきた画像(=我が家で子供たちと遊んでいる幸せな家族4人の図)を思い浮かべることが出来るのだ。そこで「この子たちは生まれてこなければならない」と強く確信できて、痛みに耐えられるというわけ。痛くて死にそうなのに、頭のどこかで「痛みというのは、精神的な問題が本当に大きいのだなあ」と、感心していたりする。
幸い、主治医は15分ほどで登場した。すぐに状況を説明してくれた。「第一子の羊水が濁っているため、胎児が苦しんでいること」「第一子を緊急に出す必要があること」「ここまで陣痛促進して子宮口4センチという実状からして、自然分娩では遅すぎるかもしれないこと」「よって、帝王切開を勧める」こと。が、痛みとガスで朦朧としている私には、もうよく理解できない。この説明をきいた夫から「Karen is in pain」と聞いてすぐに、「それじゃ、すぐ切って!」と依頼した。
すぐに手術室に運ばれた。この間、私は大きな声でいろいろしゃべっていたらしい。しかも、恥ずかしいことに英語で。何をしゃべっていたのか覚えていないけど、ガスのせいで完全に酔っ払い&ハイ状態になっていたようだ。
それまでちっとも効かなかったエピデュラルだが、この期に及んでようやく正しいスポットに麻酔を注入することが出来たらしく、少しは効いてきた。それでも、帝王切開の最中はかなり痛んだ。まあ、陣痛よりはずっとマシだったが。
帝王切開というのは、下腹部のかなり下の部分を横に10センチくらい切って、執刀医が子宮内に手を突っ込んで、押しながら子供たちをたぐりよせ、ひっぱりあげる、といった感じらしい。進捗状況を頭の上にいる看護婦さんがイチイチ報告してくれるのがありがたかった。私の前には布の幕が張られていたから、その様子は見えなかったが、お腹をズンズンと押している様子はしっかり感じられた。夫が写真をとっておいてくれたので、「あの感触はこういうことだったのか」と、あとで見て納得した。
これも後から聞いた話だが、自然分娩であれだけ苦しんだのは、子宮口に固定されたカレンの頭の位置が異常だったせいらしい。vortexといって、顔が後ろ向きであるべきところ、前を向いていたために、産道に出られず苦しんでいたという。なぜ事前に分からなかったのか?と、今でも疑問なのだが(子宮口に児頭が固定してからも超音波検診をしているのだし)、帝王切開してみて初めて分かったらしい。
午前4時前。まず、子宮の下部分にいた第一子(カレン)登場。かなりのストレスを感じていたらしく、出てくるやいなや、オギャアと大きな声で叫んだ。すぐに看護婦さんが血みどろのままのカレンを見せてくれたが、情けないことにメガネを分娩室に置いてきてしまっていたので、よく見えなかった。
その2分後に、カレンの上に横たわっていた第二子(リサ)登場。リサはほとんどストレスも痛みも苦労もなく出てきちゃったので、泣きも叫びもしなかった。でも、生まれた直後に赤ん坊の健康度合を測る「アパガー値」は、二人とも同じ「1分後:9、5分後:10」ということで、状態は良好だったようだ。
二人とも無事に出てきたことを確認すると、なんだかしらんが、涙が流れてきた。最初から最後まで、私のそばでマッサージしたり、励ましたり、医師や看護婦の話を翻訳してくれたり、手をしっかり握ったりしてくれていたラースは、開口一番、「I owe you hell a lot of nappy changings」と言った。
最後にドデカイ胎盤をゆっくり取り出す作業が行われた。左から右へとノコギリで切り落としているかのような異様な感触。子供たちが出てくる時間よりも、この時間が最も長く感じられた。手術そのものは30分ほどで済んでしまったのではないだろうか?
すべてが終わると、この手術に立ち会ってくれた人たちに、ものすごく感謝したい気分になって、イチイチ「どうもありがとう」と一人一人に大きな声でお礼を言っていた。そして、この二人の子供たちを受け入れてくれた「この世」にも感謝したい気持ちでいっぱいだった。
帝王切開というと人工的なイメージがあって、あまり乗り気でなかったのだが、緊急事態になったことを契機に体験してみて、よかったなと思う。なにより子供たちにストレスをかけずに済むというのがいいし、母体への負担も大したことではなかった。2年前に卵巣腫瘍摘出手術を受けている私としては、あの時とほとんど同じような感覚で、同じような経過を辿っているので、特に産後が「馴染める感覚」だったのだ。
もし次回またお産するとしたら、まったく異常がなければ自然分娩に再度トライしたいけど、なにか少しでも障害がありそうならば迷わず帝王切開を選択するだろうなあ。
手術後は、集中回復室へ運ばれ、そこで1時間ほど過した。その後、病室に運ばれるが、この夜は満月前後だったせいか、病室がいっぱいで、ツインルームにとりあえず入れられた。すぐに子供たちが運ばれてきて、横になったまま、はじめての授乳をした。
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